- 英語耳の習得の程度は,習得しようとする言語を脳が経験した時間に比例する。と思っています。
- これを邪魔するのが,習得しようとしている言語以外での(多くは母語での)思考である。と思っています。
- 未だ言語として認識できない音を,言語として認識できる状態にまで習得するためには,脳内シャドーイングと脳内ディクテーションを,並行して繰り返し訓練することが重要である。と思っています。
- 母語による思考の邪魔が入りにくい幼児期にどれだけ英語の音声に触れさせ,意味を認識させてあげられるかが重要である。と断言します。
- 一日最低2時間は英語の動画に触れさせたい。日本語は一日10時間も触れれば十分です。
- 更に,最低週1回は,普段の英語動画によるインプットに加えて,コミュニケーションツールとして実際に使用するアウトプットの機会を与えたい。
- おそらく,ここまでやってやっと英語耳が確立されるか否かというところだと思います。
要旨
英語耳の習得の程度は,習得しようとする言語を脳が経験した時間に比例する。と思っています。
- もっと具体的にいうと,脳内でディクテーション(後述)した量と相関があるということ,です。
- 聴いた音を言語として認識するというのは,大雑把に以下のステップを踏んでいるはずです。
①耳で(正確にいうと「蝸牛で」)音として聞き取り,
②脳内で再現し(脳内シャドーイング),
③それを基に意味ベースで認識(脳内ディクテーション)。 - 上記③脳内ディクテーションのステップでは,インプットした音の言語情報の意味認識と,それを基にした思考の両方を同時に行っているはずです。
これを邪魔するのが,習得しようとしている言語以外での(多くは母語での)思考である。と思っています。
- 母語が日本語で,日本語の歌を聴いている時でさえ,初めて聴く歌を聴いている時に,例えばめちゃくちゃ悩んで思考がぐちゃぐちゃに混乱してメンタル的に非常に落ち込んでいるような場合には,恐らく歌詞が頭に入ってこないのではないでしょうか。
- このとき,①音としては聞き取っている,しかし,②脳内で再現(脳内シャドーイング)出来ていないから,そもそも③脳内ディクテーションの域に達していない。
- 何が邪魔しているかと言えば,めちゃくちゃに悩んで「脳内は日本語で悩み事を思考している状態」にあること。脳内は日本語で③脳内ディクテーション思考しているだけの状態です。
- だから,①音は聞き取っても,その音を基にした②脳内シャドーイングと,そのシャドーイングを基にした③脳内ディクテーションを行っていない,いわゆる「上の空」状態。
- 結局のところ,耳から入ってくる音が英語だから聞き取れないのではなく,英語であれ日本語であれ,脳内で日本語の思考が邪魔しているから,耳から入ってくる言語を聞き取れない。と認識しています。
- 脳内で日本語が邪魔をしない限りは,大人も子供も世間で言われている程,英語耳の習得に大きな差は無い。と思っています。もちろん,老化による影響は否定できませんから,多少の差はあるかもしれませんが。
- (母語を習得してない)幼児期の英語耳習得における優位点は,母語の思考が大人ほど邪魔をしない点です。日本語も英語も同じように「音」として聞き取ってくれるはず。母語未習得段階では,言語で思考出来ていません(感情はあります)から,邪魔するのは概ね感情のみであろうと思います。
- (母語を習得済みの)大人の英語耳習得における優位点は,人生の経験値があること。日本語で意味を理解していることのアドバンテージを考えると,上手に学習すれば,英語耳に関してだけなら(例えば,「発音」などは口の動きの訓練を伴いますので,比較対象にはしません。大人が子供に勝てる訳がない。話したり書いたりすることも,脳内で論理思考を全て英語で行うことは無理がありますので,大人がネイティブに追いつくことはできないと思います。)子供とトントンであろう。と思っています。
- 後は,各言語を聴いている最中に感情が邪魔した時間に大きな差が認められることがなければ,生活の中で各言語さらされた時間と相関があるはずであろう。と思っています。
ちなみに,(母語を習得済みの)子供は,大人の経験値を持ち合わせていませんから,一番学習効率が低い。ということに帰結するのであろうと推測しています。自分らの頃のように,中学生から英語を始めるのって,虐待やん。上手に学習できるはずもないのに,多くの無駄な時間を費やして。。。英語学習の開始時期については,似たようなことを論じている論文もありました。
未だ言語として認識できない音を,言語として認識できる状態にまで習得するためには,脳内シャドーイングと脳内ディクテーションを,並行して繰り返し訓練することが重要である。と思っています。
- 「ディクテーション(単語の意味を理解し,そのスペルを書き出す行為。)」ではなく「脳内ディクテーション」ですから,特段,スペルの正誤など問いません。カタカナ英語で一切問題ない。意味を認識しながら音を言語として聞き取っていることが重要。
- ここでいう脳内ディクテーションは,単語の意味をイメージし,認識するだけ。スペルの一字一字の正誤までは意識しない。日本人だって,日本語のディクテーションで漢字を間違えますから。意味が合っていれば,音をひらがなで書き取っていれば十分です。まして,読み書きの出来ない幼児期は脳内で意味を認識するに留まり,ひらがなの書き取りすら行っていないわけですから,そう考えると,大人がメモを書き取っているのは備忘のためにメモしているだけです。脳内ディクテーションの本質は,情景をイメージし,意味を認識することです。
- なんなら,仮に認識したイメージがたとえ勘違いであったとしても,意味が通るものであれば,勘違いだって構わないと思います。ネイティブだって勘違いすることはあるわけですから。
「赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった。」を「赤い靴履いてた女の子 ひい爺さんに連れられて行っちゃった。」と子供の頃に勘違いしたことが一度も無い日本人っていないですよね。たぶん。。。
それと同じ。音を聞き,情景が浮かべば,意味を理解した気になれます。ネイティブだってそうなのだから,学習者だって,そうであってもいいじゃないですか。意味を理解しようとすることの大切さについて,似たようなことを論じている論文もありました。
- 正解をインプットする前段階として仮説のアウトプット思考は絶対に重要です。仮説を立てると,正解を暗記するのではなく,仮説との差異を議論でき,その議論した論理ストーリーを記憶することで,暗記から解放されます。議論の中で,何倍も,その対象の言葉を脳内で経験できます。
決して,正解のインプットを否定している訳ではありません。インプットの前段階として,逐次,仮説を立てる準備の重要性をいっています。
- 「シャドーイング(実際に発音すること。カタカナ英語で全く構わないのに,正確な発音でないことを気にしていまいかねない。)」ではなく「脳内シャドーイング(正確に音を再現する必要は一切なく,カタカナ英語でも再現できればOK)」ですから,自分の発音の正確性には一切とらわれない。純粋に,音を言語として認識し聞き取っていることが重要。仮に意味は認識出来なくても,カタカナで音を単語(ないしは成句)としてそれっぽく書き出せるレベルであれば,問題ない。
- もちろん,実際に発音した方が集中力が続きやすい(母語の思考が邪魔しにくい,上の空になりにくい)ので,カタカナ英語で良いんだとちゃんと理解して,実際に発音することはむしろ望ましい。
- この脳内シャドーイングと脳内ディクテーションを繰り返し繰り返し行う過程で,仮説を立てては(自身で意味を認識しては)正解を確認するという行為を繰り返すことが,言語の記憶に繋がると思っています。
決して,経験重視で文法軽視という訳ではありません。文法を体系的に学び理解しておくことは,例えば,忙しい社会人が日々の英語経験から離れてしまって英語レベルが落ちた場合にも,レベルを楽に戻せることに繋がるはずです。
ただ,母語以外の言語と算数数学だけは,日々の経験を可能な限り緩めないことは,やはり重要であろうと思っています。止めると,その日からボケ始めます。人間の脳はそのようにできていると思います。ボケ防止のための練習継続は非常に重要です。そして,これらを幼少期から開始することは,これもまた非常に重要であろうと思っています。
母語による思考の邪魔が入りにくい幼児期にどれだけ英語の音声に触れさせ,意味を認識させてあげられるかが重要である。と断言します。
- 「意味の認識を伴う」という点が重要。「意味の認識を伴わない」場合,それは音がいつまで経っても音のままですから,②脳内で再現(脳内シャドーイング)する段階に留まり,③それを基に情景をイメージし,意味を認識(脳内ディクテーション)できていませんから,時間の無駄です。動画を伴わない単なる音声だけの聞き流しだけではダメということです。
- 動画は字幕つきのものが良いと思います。仮に幼児期で字幕は読めなくとも,例えば象形文字を認識するような感じで,多少の情報の足しにはなりますから,絶対にあった方が良いと思っています。
- 子供は,恥ずかしがらずに,ネイティブでも聞き取れない(日本人の自分が,日本語をディクテーションしている子供の発音を聞き取れない)ような下手なシャドーイングをやっています。その時も,ちゃんと,頭の中では意味を認識しているようです。
一日最低2時間は英語の動画に触れさせたい。日本語は一日10時間も触れれば十分です。
- 一日24時間のうち,幼児期の寝る時間が合計で11時間(夜9時間半,昼1時間半)とすると,
- 平日は,残りの13時間のうち保育園や幼稚園でお友達や先生と間違いなく日本語で生活する時間が9時間半(11時間預けるうち,昼寝の1時間半を引いた時間),
- 13時間から9時間半を引いた残りの3時間半が,平日に自宅で英語に当てられる上限です。実際はこれ以下で,この一部の時間も日本語にさらされます(両親が日本人で日本語を話すため。。。)。
- お風呂に入る時間はビデオを見れないとしても(別記事で書こうと思いますが,この時間は九九の歌などを聴く時間に充てれば良いと思っています),朝起きてご飯を食べる時に30分,帰宅してから(夕ご飯中も含めて)1時間半は,英語の動画を見られます。
- 休日は,出先でも英語動画を視聴できるように,子供一人一人にiPadを用意しています。例えば,スーパーで買い物している時も,カートに子供を乗せて,iPadで英語動画を見せています。騒がないし,一石二鳥です。
- 日本語の時間が英語とトントンにならなければ,母語はほぼ間違いなく日本語です。一日2時間やそこら英語の動画を毎日見せる程度では,一日10時間程さらされている母語の基礎を覆すほどの影響は無いと信じています。むしろ,英語にさらされる時間はまだ理想に足りていない。
更に,最低週1回は,普段の英語動画によるインプットに加えて,コミュニケーションツールとして実際に使用するアウトプットの機会を与えたい。
- アウトプットの機会が0だと,脳への刺激が足らず,せっかくにインプットの時間効率も半減してしまうと思います。
- 実際の目的であるアウトプットの機会があるからこそ,それを補う形で(時間だけ見ればインプットの方が主ですが)訓練としてのインプットの存在意義を認識し,集中力が高まる。そう,思います。
- そのため,英会話をするためのアウトプットの場であるという点のみに重きを置き,価格重視でセイハ英語学院に通わせています。自発的に楽しく英語の歌を歌ってくれているので,満足です。目的は達成です。
- アウトプットの場で英語の抵抗感が薄れたのか,息子から「シャチはオルカっていうんだとよ」と教わりました。英語動画で学んだことを日本人の私に通訳してくれたようでした。
英語は,数学などの他教科と異なり,正解の重要性よりインプット・アウトプット双方の経験量がものをいいます。従って,英語は塾に任せるだけではダメで,経験時間を親が管理することが重要です。塾の品質向上だけでは,英語レベルの向上は頭打ちし,求めるレベルには達しません。
数学などと違って,幼少期から動画視聴を開始している英語については,文脈を大体理解している前提で,だいたい,英語動画を見た時間や英会話塾に通った時間の積算と合ってくると思います(数学は,本人がちゃんと理解していないと意味がありません。)から,その時間管理をすることに重きを置くと良いと思います。
ウチは,上の子は言葉を話し出した2歳から英語動画視聴を開始。2つ下の子は,上の子が英語動画を見ているタイミングで一緒に見ていますから,観察している限りにおいては,1歳からは自発的に英語動画を視聴しているようでした。なので,言葉を話し始める1歳から英語動画視聴は開始するのが良いと思います(上の子,開始遅れて,ごめん!)。
おそらく,ここまでやってやっと英語耳が確立されるか否かというところだと思います。
- たまに,母語が日本語にならないのではないか心配する意見もあるかもしれませんが,定量的に割合を考えて,日本語にさらされる時間を削るのではなく,ある種の宗教的なマナーを捨てて(例えば,食事中は食事に集中するというマナーは他人の前だけ実践すれば良く,家庭の中では自己研鑽のために犠牲にするのは構わないと思っています。もちろん,そのことを子供には明言し,断っておくことはしつけとして重要。),日本語にさらされる時間を維持するように努めつつ英語にさらされる時間を増やすことができれば,母語は失われないと判断できるのではないでしょうか。
- もちろん,マナーを捨てるのは,家庭内のみです。しつけは重要です。他人の前でのマナーを捨ててはいけません。きちんと区別して教育しています。